2017/07/02 (日)

訃報

日本ハムファイターズ元監督、上田利治氏が7月1日(土)午前2時55分、肺炎のため神奈川県内の病院でご逝去されました。享年80歳でした。

上田氏は徳島県出身。捕手として海南高から関西大に進み、故・村山実投手(元阪神タイガース)とバッテリーを組んで活躍して広島東洋カープに入団。3年で現役を引退した後はコーチをへて1974年に37歳の若さで阪急ブレーブスの監督に就任し、1975年から日本シリーズ3連覇を含むリーグ4連覇を果たし、現在も語り継がれる阪急黄金時代を築き上げました。史上8人目の「1000勝監督」という輝かしい実績を携えて1995年に日本ハムファイターズ監督に就任。金子誠、小笠原道大両選手ら才能を見込んだ若手を積極的に登用する采配や、「ビッグバン打線」の編成などにより5シーズンで2度、チームを2位に引き上げました。

通算20年の監督生活で1322勝1136敗116分は歴代7位の勝利数。2003年には野球殿堂入りを果たされ、その後も評論家として野球界の発展にご尽力されました。球団一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

経歴

広島東洋(1959~1961)-広島東洋コーチ(1962~1970)-阪急コーチ(1971~1973)-阪急監督(1974~1978、1981~1988)-オリックス監督(1989~1990)-日本ハム監督(1995~1999)

選手成績:121試合 257打数56安打 2本塁打 17打点 5盗塁 打率.218

監督成績:(通算)2574試合 1322勝1136敗116分 勝率.538
     (日本ハム通算)648試合 310勝326敗12分 勝率.487

栗山英樹監督コメント

「子供のころからの野球の原風景が、阪急対巨人の日本シリーズ。上田さんと西本幸雄さんのお姿でした。深いつながりがあったわけではないですけれど、上田さんのような先輩方がおられたので今、野球をやらせていただいていると思っています。ファイターズの歴史は、上田さんをはじめ関わってこられた皆さんに築いていただいたもの。この先につなげていくのが我々の使命だと肝に銘じて、これからもやっていきます」

田中幸雄ファーム監督コメント

「今朝訃報をお聞きし、私の現役時代の絶頂期を指揮していただいた方でしたので、とても残念に思います。上田監督が就任されてから、私を外野手からショートに戻していただき、キャリアのピークにつながる礎を築いていただきました。勝負事に対してとにかく厳しい方で、獲物を見るような眼差しでベンチの隅から試合を指揮されていた印象があります。最後にお会いしたのは1軍コーチ時代、球場か球団イベントの際であったと記憶しています。お元気そうでしたが、監督を務められていた当時よりもお歳を召されたなと感じました。上田監督から教わったことを今の選手達に少しでも伝えられるよう指導して参ります」

金子誠打撃コーチコメント

「2014年の引退試合の時に電話でお伝えしたのが最後です。数々の思い出があり、思い出したらきりがないですね。プロ野球選手としての土台を作ってくださったのが、上田監督。知将とも闘将とも呼ばれた方でしたが、印象深いのが常にベンチの真ん中に陣取っていたお姿でした。ご冥福をお祈りいたします」

一覧へ戻る